楽しく生きる実験的ブログ

日常で感じた事、触れてみて思った事、などゆるく書きます。

久しぶりに

久しぶりに描いてみた

ぶろぐ

最近私は自分の中に革命が起き始めている

まだ地に足つかない様な

地面が固まっていない様な

不思議とふわふわしているけど、わかりそうでわからない様な

わかったけど忘れてしまいそうな

微妙な感じ

 

今までは楽しく幸せに

なんて軽々しく言ってみてたけど

自分に向けて言ってたわけじゃなかった

どう言うこと?

私に向かって言ってなかった

楽しく幸せでいたいなんてみんな思っていることだけど

それを手に入れるにはかなり自分勝手に迷惑をかける様な方法しか結局見つからなかった

それは本当に不思議な話で私の中にどれだけそれが重くのしかかっていたかと思うほど

私の中でこんがらがっていた

そして幸せになろうとすると誰かが囁いてくる

お前はなんて酷いんだ

こんな事もできずにそんな夢も語るんでない

そんな感情の🫨揺れ動きが大きい日常の中で日々の失敗や恥ずかしい時間を引っ張り出してやまた辛くなったり悔しくなったり

とんでもない

自分にとってとんでもない態度を取ったり、人と比べて卑下したりした

その地を這う様な気持ちで幸せのために立ちあがろうともがき

そのまま力無く倒れ込むのが何回も繰り返され

しまいには立ちあがろうともしなくなって

それをまたちくちくと耳元で囁いてくる

どうして何もできないんだ

努力が足りないからだ

ここから抜け出そうなんて100年早い

そのまま消えてしまえ

そして私は静かにこの世から消え去りたいと思うのであった

これは病名をつけられるほどの症状ではないと自分で思っている

なぜかと言うと、現実には聞こえないからだ

まだ自分の心の中の話であって現実化はしていない

つまり病も気からというものの、気とはどの段階なのか

あるいは生物学的に、医学的に気は治療できるのか

どこが境目なのかはその意思の判定でしかないからまだ私達には余地があるということ

末期だと知らされたものであっても例え何が起ころうと私の中で輝いているものがあろうと

色眼鏡を変えない限り何も見えない

そして何も判断できない

私たちは驚異的な力を備え持ち、その引き出し方を知っている人は密かに実践している様です

何が言いたいかというと

自分が1番先に幸せであるということが

全ての物事に幸せを与えてくれるのだ

そう最近は確信を持ちつつあります

見えないものは全て私たちのもの

私の感じるものは大切な自分が思うこと

評価の基準は自分っで良いということ

協調性などはどこかで学べば良い

まずは自分の心の湖に波風が立っているのか

どこから風が吹いているのか

波の高さはどれくらいか

何が心地よい風か

自分らで知る必要がある

そして求める

恥ずかしいという感情は悪魔的であり私たちの行動を阻んできます

怖い単語を使ってしまったが私がここ10年くらい持ち悩んでいた言葉の一つであって

夢というものを失うきっかけでもある

何を求めるのか

何を求める必要があるのか

私たちが何がしたいのか心から感じて

触れてみる

ただそれが重要てあると

最近諭された気がした

 

傲慢であって良い

それが私という存在だから

それが私という今の魂だから